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耕谷アグリサービス 佐藤範幸さん

会社を辞めて実家に戻っていたときに被災。復興の手伝いから農業に

会社には震災後、昨年8月に入社しました。高校・大学と農業系の学校だったんですが、就職の段階では、できればいろんな仕事をやってみたいなと思って前職に就いて6年働いたんですが、やはりこのままでいいのか、と思って辞めたんです。

震災のとき、休みでたまたま実家に戻ってきていました。私の実家はすぐそこなんですよ。元は農家だったんですが、父親が早くに亡くなったので、ここが会社になる前から今の社長に田んぼをお願いしていたので、付き合いがありました。

津波で、家は残りましたが倉庫の方が60cmから1mくらい水を被りました。その日も母と祖母を車に乗せて朝まで過ごしました。被害が大きかった閖上の近くに親戚がいたので安否を確認しにいったり、しばらくは実家に留まりました。その後、耕谷アグリで復興のお手伝いなどをするようになったんです。社長と一緒に色々な地域を方々回って。そのうちに社員に、というお話をいただいたんです。元々次は農業を、どうせやるなら会社で農業をやりたい、と思っていたので、お世話になることにしました。

排水対策が一番苦労するところ。植えた直後に台風があったので、雨の中、必死で作業しました

綿は、佐々木と私、大体二人で担当しています。綿は水に弱いので、排水対策が一番苦労するところですね。まず、周りに水路を掘り、さらに畑の土の中に、横に8cmくらいの穴を堀り、そこから横の水路に排水するという仕組みをとったんです。弾丸暗渠というんですが、他の物にはほとんどやらないです。たまたま除塩するにあたって、そういう工事をこの辺の農地でやっているので、佐々木と相談して、やってみようということで。元々、水はけが悪い土壌で、排水路も津波で詰まったりしていたので、全部取払いをしてという形で対策していました。植えた直後に台風があったので、雨の中、必死で作業しましたね。また、津波を受けて土が固くなってしまいました。ゴロゴロして手でも潰れないような、ものすごい堅い土です。塩化ナトリウムなどが土に付着するとなかなか取れず、水をかけて浸透して下にいっても乾くと浮き上がってくるという繰り返しみたいなんですよね。いかにそこに根付かせるかというのを試行錯誤しました。特にひどい土壌があり、そこに綿と、やはり塩に強いアスパラを植えています。

草取りはスタッフが手でやっています。あとは中耕といって、畝間にロータリーを入れて、土を寄せていくという方法で除草作業しています。手を回せる人数が限られているので、草取りの時は朝早くから出てきたり、時間調整しながらやっています。

綿は他の作物よりも手間がかかる分、花が咲いたとき、採れたとき、の1つ1つの喜びが大きい

綿がどういうものか、やっと今になって分かってきたような感じです。需要者がどういったニーズを持っているか、そこからまず勉強しなければならなかったので。オーガニックも、野菜とかだとピンとくるんですが、オーガニックでやるということ自体が難しいですし。やはり求められている物を求められている通り作るというのが一番ですから。

綿は他の作物よりも手間がかかる分、花が咲いたとき、採れたとき、の1つ1つの喜びが大きいんですよ。収穫した綿の紡績の工程を見せてもらったとき、全然綿が違うんですね。こっちでちょっと汚れてるかなと思ったのが、実際に加工すると真っ白になって、嵩も倍以上に膨らんで。それを見たときには感動しました。

やっぱりモチベーションは常に持って作業しているので、生き甲斐にはなりますよね。自分で動いた分だけの結果が出てくるじゃないですか。だから手をかけて、美味しい野菜を、おいしい米をと思う。綿も、皆さんの期待が大きい分、余計こちらでも枯らしちゃ駄目だと思いが強いです。すごくやりがいがある仕事だと思う。それはもう常に思っています。

(2012年7月27日)