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仙台東部地域綿の花生産組合 組合長 赤坂 芳則さん

避難所で何もしなかったら、心も体もダメになってしまう

荒浜は、津波被害で壊滅しました。何もない。ゼロです。3千数百人いた住民が、みんな散り散りバラバラ、農家世帯も180軒くらいありましたが、家も農機具も全て失いました。荒浜の農業を一手に引き受けていた荒浜農産という農業法人があったのですが、社長も役員も亡くなり、農家は何もできなくなりました。

私は内陸部にある美里町の農業法人で、50ha近く農地がありますが、その中の一部が荒浜にありました。何十分の一なので、もうやめてしまおうかとも思ったりもしました。でもこれまで一緒にやってきた仲間を見捨てるわけにはいかない。いずれ何らかの力添えをしなければ、という思いは持っていました。

ただ、どのように復旧が進むかもわからない中では、なんの予定も交渉もできなかった。田んぼだったところは瓦礫の山になっていて、やる気力も何もかも失いかけていました。そこにたまたま紡績業界等から塩害に強い綿花を作りませんか、というお話をいただいた。綿花がどんな作物かもよくわからないけど、ダメでももともと、やってみることにしました。

声をかけたメンバーも、ほとんど全員避難所生活で「どうせなんも作られねえんだから、やってみっか!」って、一緒に取り組むことにしました。避難所で何もしなかったら、心も体もダメになってしまう……何かしたいという思いがひとつになったのです。

組合は5人でスタートして、今10人なりました。1人だけ、すぐ近くに家と作業場、機械がたまたま残っていたので、そこを使わせてもらいました。彼が入ってくれて場所を確保できたから、なんとかできたんですね。そうでなければ美里町から1時間かけて全部機械を運んで通わなければならなかったから、ちょっと無理だったかもしれません。

復興に向けて歩みが始まったという心の整理もできるのでは

やり始めたらみんなに応援してもらえるし、なんだか段々楽しくなってきたんですね。これだけの壮大なプロジェクトが立ち上がって、全国から何回も来てもらって、育たなかったらしょうがないとは言っていられない。義理と人情の世界もあるんですよ、我々にとってはね。結果的には1年目に収穫できたのは段ボール箱2つだけでしたが、それで諦めてしまったら、このプロジェクトが広がっていかないじゃないですか。そういう思いから、とにかく規模を拡大したい、今年は作付け面積を10倍にしたいと考えています。

そのために、今農地を借りるための色々な準備をしています。農作業受委託という形か、交換耕作で土地を貸して下さいというやり方か、生産者の方々にどちらか選んでもらう相談をしているわけです。避難所とか仮設住宅から満足に出たことがない人もいるから、今年こういうことをしました、こういう風な事業ですよという話を白紙状態からしなければならないので大変な作業ではありますが、でも畑にしなかったら、結果的に土地を荒らすだけです。貸してもらえれば管理するし、参加したということになると、皆さんも復興に向けて歩みが始まったという心の整理もできるのでは、と思うのです。

ここを一大産地に持っていくために踏ん張らなきゃ駄目だと思っています。

自分達の能力を見れば1〜2haで手一杯かもしれませんが、それではこういうプロジェクトが立ち上がったことにひとつも答えることができない。なんとかやりくりをしながら、ここを一大産地に持っていくために踏ん張らなきゃ駄目だと思っています。そして、綿が出来るようになったら、米も、麦も大豆も、と他の作物に広げてもいいと考えています。今は組合ですが、国の補助や融資も受けられる法人格にして、他の作物にも本格的に取り組めるようにしたほうが、農家さんが入りやすいのではないか。そのためには、あえて「綿」を名前に付けなくてもいいかもしれない。そうやってこのグループが中心になって農業に取り組んでいったら、荒浜の復興はもっと進むんじゃないかと思っています。

(2012年1月18日)