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有限会社 耕谷アグリサービス 代表 佐藤富志雄 さん

とにかく何も出来ない農地なのだから、まず行動しよう。

我々は名取市の農業法人ですが、76haあった農地の9割が津波被害に遭いました。震災直後、泥が流れ込み、瓦礫の山となった圃場は、「耕谷」ではなく、まさに「荒野」でした。悶々とした日々を過ごし、なんとか復旧に向けて考えなければ、と思い始めた5月、タビオさんから綿を植えてみませんか、というお話をいただいたのです。もしかしたら塩害があっても綿だったら作れるかもしれないというご提案で。ただ、うちは法人で社員を抱えているので、経済的なベースはどうなのか配慮しないといけないと思ったのですね。でも、とにかく何もできない農地なのだから、まず行動しよう、という結論を出しました。綿を植えるということは、瓦礫を撤去したり、耕したりということから始めないといけない。耕して農地を再生することが第一段階ですから、採算うんぬんというより、まずやってみましょうということがスタートでした。

犠牲になった人の鎮魂の意味を含めて綿を育てていきたい。

当初はほんとに小面積でいいからという話だったんですよ。全部手作業だというし、初めてのことだし、試験的にやってみましょうということで、圃場の1枚に種をまきました。1ヶ月したらなんとか発芽したのを確認して、合計40aで栽培を始めました。

提案されてとりあえず始めたことだけど、あの荒野に青い芽が吹いたのを見たら、気持ちが変わってきましたね。どうせ取り組むなら私らが主体的な気持ちを持ってやらないと、なかなかいい結果は出ないだろうと。やるなら会社的な方針としても、ガバナンスというものを認識して、自分が主体的に行動しますと。そこからはそういう気合いと気持ちで、綿との付き合いをしてきました。

農家としては、収穫がいちばんの喜びです。綿は花が咲いて、コットンボールがついて、それが開いたところで本当の収穫になります。出来た綿をさわると、あったかいんですよね。それに、色が純白、真っ白でしょう。私らも被災者で、なにかこう、感慨深さを感じたのね。綿を作った圃場のまわりも、犠牲になって横たわっていた方がいたわけで、そんなことを思うと、涙腺が弱くなってしまうんですね。

そういうことで今後とも我々としては、3月11日のあの震災を風化することなく、犠牲になった人の鎮魂の意味を含めて綿を育てていきたいと思っています。場所によっては桜を植えたり、記念植樹をしているところがありますが、私の中では、この綿との付き合いがそういうものなのかなと思うんですね。

2年目の今年は、身の丈に合った、責任の取れる範囲内でということでうちのスタッフとも相談して、1haに広げました。とにかく結果が出るような綿づくりをしないと、綿に対しても、プロジェクトに対しても失礼だと思いますので、去年を総括して、改善すべきところは改善して取り組んでいます。

綿が勇気をくれた。

1年経って、被災した農地の7割くらいが復旧しました。おかげさまで2年ぶりの田植えが出来ました。我々は米づくり農家ですから、田植えができたことで、ようやく心の安らぎを感じています。昨年、とにかく早く農地を復旧させなければという状況で、綿が勇気をくれたというか、やる気を出させてくれたという部分があったと思いますね。行動しなければいつまでも瓦礫の圃場でしたから。現実は現実として受け入れて、前向きに前進するにはどうしたらいいか。この状況の中で、やれる人がやらないとだめだと。ポジティブに、モチベーションを上げてやろうと。被災者の割に元気よすぎるかな(笑)。そういう考えも、もしかしたら綿からもらったのかもしれないし、プロジェクトを通していろいろな方との出会いや人とのつながりが、目に見えない財産になったと思います。

(2012年6月6日)