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大正紡績株式会社 営業部長 近藤健一 さん

コットンが塩分に強いということは、まさに神の恵みなんです。

僕はエンジニアとして、20年程前から世界28ヵ所で綿花畑と紡績工場を作ってきました。1989年、オーガニックコットンの提唱者サリー・フォックスの記事を見て、会いに行ったことが僕の人生を大きく変えたんです。オーガニックコットンを広めることが世界平和につながると思い、人間も、生きる物も大切にする工場を作ってきました。世界各国で津波や高潮の被害にあった土地に綿を植えて、塩害から再生することにも尽力してきました。

ところが、この間日本の役には立っていない。だから今度の災難は、神様が僕に与えた天職というかな、今度は日本に貢献する番だ、と。コットンが塩分に強いということは、まさに神の恵みなんです。

3月11日、僕はヨーロッパ出張中で、ニースにいました。帰国後、4月末に仙台に行きましたが、そのときはまだ綿を植える決心はしていなかったんです。しかし、あの井戸の壊れ方、灌漑用水を見て、5年から8年くらい、稲作は復活しないだろうと思いました。これでは農家の方が収入の道が閉ざされてしまう。まだなんの策もないというから、それならコットンを植えるしかないやろ、と。

東北に対してみんな愛情持ってる。僕は協力してくれた人たちを絶対失望させない。

まずは塩分率を測りました。太平洋の塩分率は3.5%あり、2週間から1ヶ月浸かっていた。綿は地表から50センチまで影響するので、その間の塩分率をランダムサンプリングで測ると0.8%から1%だったから、これは勝算があると。米は塩分率0.2%、大豆は0.1%までしか育ちませんが、綿は1.5%までは実績がありましたから。

そこで5月10日に行われた「コットンCSRサミット」で、この話をしたんです。本当は「エシカルファッションとは何か」というのが僕がしゃべる内容でしたが、5分間だけ時間をくれと言って「綿花で東北を救おう」という話をしたら、全員が拍手をして、みんなでやろう、となったんや。

今回に関しては、発起人たちの役者が揃っていた。元々僕は、プロジェクトをやろうと提唱したのではないんですよ。私が今から綿を植えるから、アパレルのあなたたち買ってちょうだいよと。そしたらすぐに一緒にやりましょう、と動いてくれたんです。みんな熱血男やから。心の美しい人ばっかりや。東北に対してみんな愛情持ってるでしょう。僕はほんとにうれしかったんやで。だから、僕はあの人たちを絶対失望させない。

今、遊休土地が日本に40万ヘクタールあり、その半分が東北にあると言われています。その土地を綿花畑にしたい、というのが僕の思いです。でも今回塩害にあった水田は、塩が抜けたら戻してやりたい。やっぱり「ひとめぼれ」も食べたいしね。

だけど、もしかしたら綿で未来型の産業ができるんじゃないかと思っています。ちゃんとやれば綿は儲かるし、メイドインジャパンの本当の安心安全が出来る。でも綿の作り方を誰も知らない。そこで、エンジニア近藤が教えようと。そこに紡績工場を建てて、織機工場を建てて、一貫でやれば東北で働く場所ができる。田んぼを耕しているところで5万人の工業団地を作る、というのが僕の本職だから。

東北に新産業を起こす、日本が世界のみちしるべになろう。

僕自身は、感謝の気持ちがわいているんですよ。みんなに、協力してくれてありがとう。咲いてくれた綿にも、ありがとう、がんばって開いてくれて、と。東北の温度では無理やろう、綿は熱帯のもんやろう、と言われていたのに。

僕がいちばんうれしいのが、避難所の人たちが、朝あそこへ行って綿を見るのが楽しみだと言ってくれたこと。植物が育ち、花が咲き、コットンボールがはじける、それを自分の幸せとして喜んでもらっているんですね。

神様はこんな大きい試練を与えたけど、次に来るのは幸せなんです。東北に新産業を起こす、ひいてはこの世界不況の中で日本がいちばんに景気回復して、世界のみちしるべになろうと。エンジニアはそのためにはどんな苦労もいとわない。明快なんですわ。

(2011年10月26日)